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最高裁判所第二小法廷 昭和60年(行ツ)170号 判決 1986年7月14日

上告人

岩手県地方労働委員会

右代表者会長

畑山尚三

右指定代理人

大山宏

佐藤弘

石塚則昭

右参加人

岩手女子高等学校教職員組合

右代表者委員長

渡辺礼一

右訴訟代理人弁護士

澤藤統一郎

被上告人

学校法人 岩手女子奨学会

右代表者理事長

三田俊定

右訴訟代理人弁護士

田村彰平

右当事者間の仙台高等裁判所昭和五八年(行コ)第七号、第八号不当労働行為救済命令取消請求控訴、同附帯控訴事件について、同裁判所が昭和六〇年六月二八日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人大山宏、同佐藤弘、同石塚則昭の上告理由及び上告参加人代理人澤藤統一郎の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、所論引用の判例に抵触するところもない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭)

上告指定代理人大山宏、同佐藤弘、同石塚則昭の上告理由

第一点 原判決には、最高裁判所の判例に抵触する違法がある。

一 原判決は、「被控訴人の事実認定、就業規則該当性判断についての誤りは認められないから、かかる場合に本件申入が不当労働行為にあたると言えるためには、なによりも控訴人組合の本件文書配布について学校秩序を乱すおそれがない特別の事情の存在していたことが必要である。」としながら、「被控訴人は、……学校内で教職員が生徒を対象として文書を配布する態様の組合活動につき、高等学校教育の正常な業務運営を確保するうえの妨げになるので望ましい学園秩序を形成するためにはこれを解消するようにせねばならないと考えているものであり、学校がかく考えるについては教育上相当な根拠があると認められ、右教育における裁量的判断につき逸脱もみられない以上これを尊重すべきであり……」としたうえで、このことから直ちに「反面本件文書配布については学校秩序を乱すおそれがない特別の事情の存在していたことを認めるに足りないことになり」と断定し、「学校秩序を乱すおそれがない特別の事情」の存否について具体的に判断をしていない。

二 このような問題に関して、最高裁判所は、昼休み時間中会社構内の食堂において無許可で政治的ビラを配布したことを理由とする戒告処分の効力が争われた事件の判決(最高裁昭和五五年(オ)第六一七号懲戒処分無効確認請求上告事件、同五八年一一月一日第三小法廷判決)において、「被上告人の本件ビラの配布は、許可を得ないで工場内で行われたものであるから形式的にいえば前記就業規則一四条及び労働協約五七条に違反するものであるが、右各規定は工場内の秩序の維持を目的としたものであることが明らかであるから、形式的に右各規定に違反するようにみえる場合でも、ビラの配布が工場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは、右各規定の違反になるとはいえないと解される(最高裁昭和四七年(オ)第七七七号、同五二年一二月一三日第三小法廷判決、民集三一巻七号九七四頁参照)。そして前記のような本件ビラの配布の態様、経緯及び目的並びに本件ビラの内容に徴すれば、本件ビラの配布は、工場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められる場合に当たり、右各規定に違反するものではないと解するのが相当である。」と判示している。

したがって、本件においても、「学校秩序を乱すおそれのない特別の事情」の存否については、基本的には本件文書の配布の態様、経緯及び目的並びに本件文書の内容に関してつまびらかにし判断すべきであるにもかかわらず、原判決は、この点に関して具体的に触れることなく結論を出しており、この点において原判決には前記最高裁判所判決に抵触する違法がある。

三 ところで、前記最高裁判所判決は工場におけるケースであるのに対し、本件は学校における事件であるが、あるべき企業秩序について業種等の違いからくる相違については、「企業秩序を乱すおそれのない特別の事情」の存否の判断に当たり、それぞれ具体的に考慮すれば足りるものである。

本件の場合は学校における事件であるから、たしかに、原判決判示のとおり「被控訴人は、……学校内で教職員が生徒を対象として文書を配布する態様の組合活動につき、……望ましい学園秩序を形成するためにはこれを解消するようにせねばならないと考えているものであり、学校がかく考えるについては教育上相当な根拠があると認められ、右教育における裁量的判断につき逸脱もみられない以上これを尊重すべき」ものであるかもしれないが、それは決して無限定、絶対的なものではなく、学校であることからくる一定の合理的な範囲内にとどまるべきものである。

この点に関しては、被上告人も、原審における補充主張の中で、「例外的に生徒を利用して配布しようとする場合は、事前に学校長の承認を得べき旨の定めに従わねばならないものであ」ると述べて、場合によっては、学校施設内において教職員が生徒に対して文書を配布することが学校秩序を乱すおそれがないとして承認することもありうることを認めているのである。

したがって、本件における「学校秩序を乱すおそれがない特別の事情」の存否については、学校における事件であることを具体的に考慮しながら、本件文書の配布の態様、経緯及び目的並びに本件文書の内容に関してつまびらかにしたうえで、総合的に判断しなければならないのである。

四 そこで、次に、このような観点から本件文書の配布の態様、経緯及び目的並びに文書の内容に関してみると、次のとおりである。

(一) まず、本件文書配布の目的についてであるが、私立学校に対する公費助成運動は参加人組合の組合員の労働条件の維持改善を主目的とする重要な組合活動の一つであったものであり、その要求の実現を目指した内容の本件文書の配布行為は、組合活動として極めて重要なものであったと言うべきである。

また、本件文書は、第一審判決が判示するごとく「文書の内容に特に不穏当反教育的なところがなく、配られた時間、場所も格別学校の平常の業務を阻害するものではなかった」のであり、かつ、その配布方法も、文書を封筒に入れて生徒に手渡したものであり、その際には「お父さん、お母さんにあげてください。」などと言って手渡しており(乙第一一号証三四頁一一行目~一四行目及び渡辺礼一証言・原審第六回口頭弁論の証人尋問調書七枚目裏九行目~一二行目)、高等学校教育の正常な業務運営に対する十分な配慮のもとに行われていると言えるのである。

(二) 原判決においては、本件文書配布を「学校施設内で教職員労働組合により生徒を直接の対象としてなされた組合活動」として理解しているようである。しかしながら、本件文書配布は、郵送料を節約するためなどの理由から、生徒の手を借りたにすぎないものであり、生徒を直接の対象としてなされた組合活動ではないのである。

私学助成運動に直接的な利害関係を有するが故に関心の高い生徒の父兄に呼びかけるに際して、郵送すれば問題がないのは当然であるが、組合員数二一名(昭和五四年九月一〇日現在)(命令書三頁一行目~二行目)程度の組合の財政状況からしてそれには限界があるのであり、合理的な範囲内においては、生徒の手を借りてその父兄に文書を送付するということは、許されてしかるべきものである。特に、本件文書配布については、前記(一)のような目的、内容、態様に加えて、<1>「昭和五一年ごろまでは全校朝礼等の際に生徒を通じて父母への協力呼びかけが行われるようなこともあったし(乙八三)、学校側も組合とは別ルートで展開している私学助成運動に協力してほしい旨の文書を生徒を介して父兄に届けさせたことがあったらしい」(第一審判決八枚目表一行目~五行目)こと、<2>他の私立学校でも同種文書配布が行われていたこと(乙第一一号証三三頁)なども併せ考えるとき、本件文書を生徒の手を借りて送付した行為が学校秩序を乱すおそれがあるものとは認められないのである。

(三) 更に、本件文書配布に関する過去の経緯であるが、原判決摘示のごとく、<1>「昭和四四年以降は……被控訴人の諒解のもとに……教室内で生徒に配布して父母に届けるように託し、またその成果を再び生徒を介して回収する方法によっていた」こと、<2>参加人組合の要望に対し「被控訴人は昭和四九年一一月七日「本来組合活動のため文書配布等に生徒を利用する等は許されないが、特に授業等に支障なく平穏な方法によるものであれば、組合が自主的に行うことに学校は殊更干渉しない。」旨回答して、黙許の態度を示すことにより従前同様の便宜供与をしていた」こと、<3>「昭和五二年一一月二九日に至り被控訴人は控訴人組合に対し、……生徒を介することなく直接父兄へ送達する方法を講ぜられたいと申入れ、その後は控訴人組合においても……教室内配布を止めて郵送若しくは校門付近で生徒に配布するなどしていたこと」といった事実経過をたどっている。

以上の一連の事実経過について、被上告人は、「高等学校教育の正常な業務運営を確保するうえの妨げになるので……教職員が生徒を対象として文書を配布する態様の組合活動を解消するようにせねばならないと考え」てとった一連の対応であると主張するかもしれないが(本件文書配布が高等学校教育の正常な業務運営を確保するうえの妨げとなることの立証はなされていないのである。)、それは、後記第二点の二で詳述するような被上告人の参加人組合に対する無視ないし嫌悪の態度から、重要な組合活動の一つである本件文書配布を抑圧せんとした一連の対応の経過とみざるを得ないものである。

また、右記一連の経過を経ながらも、一〇年前後の長期間にわたり教室内や校門付近で同種文書配布が続けられてきたということは、<1>第一審判決判示のとおり「昭和五一年ごろまでは全校朝礼等の際に生徒を通じて父母への協力呼びかけが行われるようなこともあったし(乙八三)、学校側も組合とは別ルートで展開している私学助成運動に協力してほしい旨の文書を生徒を介して父兄に届けさせたことがあったらしい」こと、<2>他の私立学校でも同種文書配布が行われていたこと(乙第一一号証三三頁)なども併せ考えると、当該文書配布によって学校秩序が乱れたりそのおそれがあったというようなことがなかったものであり、その配布方法は既に学校秩序の中で定着していたと言えるのである。そして、このことは、特にその文書の内容が、私学に対する公費助成運動に係るものであるという、参加人組合にとって重要な問題であると同時に、生徒の父兄にとっても看過することのできない極めて身近な利害関係を有するものであったということによって実質的に裏付けられているのである。

(四) 以上のような本件文書の配布の態様、経緯及び目的並びに本件文書の内容に徴すれば、本件文書配布は、学校秩序を乱すおそれがない特別の事情の存在していた場合に当たり、したがって正当な組合活動に当たるのである。

五(一) 原判決は、本件参加人組合による文書配布行為に対する警告の申入書交付の不当労働行為該当性が争われている本事件に対して前記最高裁判所判決を極めて形式的、機械的に適用し、その評価基準を採用したにすぎず、その法的評価の視点には疑義が生ずるのである。すなわち、原判決にあっては、参加人組合による文書配布が団結権保障の法制度の下での組合活動としての側面を配慮のうえで、その組合活動の正当性の判断が行われるべきものであるにもかかわらず、学校秩序びん乱の抽象的おそれのみに基づいて結論を導き出しており、その評価の視点は、団結権保障の一環として参加人組合の文書配布行為を軽視している点で一面的に過ぎると評せざるを得ない。

(二) ところで、この点、本件同様に企業施設内における就業時間外の無許可のビラ配布に対し、使用者が後日の責任追及をほのめかした警告の文書を交付したことの不当労働行為該当性が争われた事案に対し、福岡県地方労働委員会は、救済命令(福岡地労委昭和五〇年七月二九日決定、中労委事務局編不当労働行為事件命令集56・一九七頁参照)を発している。その取消訴訟に係る福岡地方裁判所判決(昭和五〇年(行ウ)第二七号、同五三年五月一六日判決)の説示するところは、本件文書配布行為の組合活動としての正当性判断に当たり、十分に考慮すべき判断基準を提示している。

同判旨によると、始めに、原告会社の印刷物配付の許可制の趣旨を、印刷物の内容自体あるいはその配付の手段方法等からみて、職場秩序のびん乱を防止する点にあると認定したうえで、さらに組合のビラ配付行為について、当該ビラの内容、配付のいきさつ等からみて、当該ビラ配付が組合活動として極めて重要なものであることを認めながら、結局「従って、本件ビラ配付行為が形式上は一応就業規則に違反するようにみえながらも、なお正当な組合活動として評価されるべきものか否かを決定するには、右の如きビラを配付することの必要性とその配付の態様が「職場の秩序」をみだし、それによってどの程度の業務上、施設管理上の支障を生じたかを比較較量してこれを行うべきものである。」とされる。

右事件は、さらに上級審において争われているが、福岡高等裁判所(昭和五三年(行コ)第二二号、同五四年三月一三日判決)及び上告審である最高裁判所(昭和五四年(行ツ)第八五号、同五八年二月二四日判決)においても、いずれも第一審判決の判断を正当なものとして是認している。このことは、当該事案のごとき企業施設内での無許可の文書配付に起因する不当労働行為事件の組合活動の正当性の判断基準として、いわゆる比較較量論、すなわち企業施設内でのビラ配付の必要性と職場の秩序びん乱との実質的利害の調整の法理が、最高裁によって是認されているものと解される。

(三) 右の理由により、本事案における参加人組合の本件文書配布の組合活動としての正当性判断に当たっては、組合の本件態様、内容等における文書配布の必要性の判断と学校の秩序びん乱の具体的かつ実質的な危険性との比較較量のうえで決せられるべきものと思料される。

なお、文書配布の必要性については前記四の(一)において、また、学校秩序びん乱の具体的危険性の有無については前記四の(二)及び(三)においてそれぞれ主張しているとおりである。

六 仮に参加人組合の本件文書配布行為が職場秩序を実質的に乱すような態様の組合活動であったとしても、そのびん乱の程度が極めて微少な場合にまで直ちに組合活動の正当性が否定され、かかる行為に対する使用者の抑圧的行為が是認されると解すべきものでないことは、不当労働行為制度の本旨に照らし、学説によってもつとに是認されている法理と言えよう(石井照久・新版労働法参照)。

したがって、かかる場合の不当労働行為の成否の判断に際しては、本件文書配布行為に対する使用者の警告行為の威嚇的要素の有無が重要なポイントを占めることになると思われるが、この点に関しては、後記第二点において主張する。

第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法律の解釈・適用の誤りがある。

一 原判決は、「本件申入書を交付した……趣旨も爾後の非違行為を防止するための警告であ」り、それに至る段階も「控訴人組合の労働基本権に対する配慮もなされた穏当な方法というべく、この点から考えても被控訴人の本件申入書交付について不当労働行為が成立することはない。」と判示している。

しかしながら、本件申入書による警告は、日ごろの被上告人による組合の無視ないし嫌悪の一連の対応の過程でなされており、正当な団結権の行使に対する不当な干渉として不当労働行為に該当するものであり、この点において、原判決は労働組合法第七条第三号の解釈・適用を誤っており、この誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかなものである。

二 まず始めに、本件不当労働行為事件に至るまでの労使関係について、被上告人もその内容を明らかに争わない乙第一一号証の記載事実を中心にみてみると、主な経過は次のとおりであり、被上告人において参加人組合やその組合活動を無視ないし嫌悪してきたことが認められる。

(一) 昭和四五年一二月四日 ベースアップは「人事院勧告に準ずる」との合意ができたときには、国会及び県議会の議決には関係なく実施するのが慣行であったが、理事長はこれを一方的に破棄し、「ベースアップは国会及び県議会の議決後に行う。」と回答した(同号証七頁一三行目~一九行目)。

(二) 昭和四六年一月一九日 公立学校との賃金格差是正について、事実上団体交渉における合意が成立していたにもかかわらず、理事長がほごにした(同号証七頁二一行目~二三行目)。

(三) 昭和四六年一月二二日 理事長は、理事会を代表して団交に出席した理事兼校長(以下単に「校長」という。)と組合との合意を無視して、高齢者三人をはじめ多数の教職員のベースアップを減額する一方で予定額より増額された教職員も数人いた(同号証八頁一〇行目~一四行目)。

(四) 昭和四六年一月三〇日 従来理事長は団交にはほとんど出席せず校長、副校長にまかせていたので、組合は理事長欠席の団交の都度「出席理事が全権を委任されており当該団交が正式の団交であること」を確認して交渉してきたが、前記のとおり理事長欠席の団交での合意が次々とほごにされるので、組合は、同日、全理事若しくは理事長の出席する団交を申し入れたが、理事長は、自らが出席しない団交は「下交渉であり理事会の結論ではない」といった回答をした。

また、昭和五〇~五三年において、団交は年一二~一五回行われているところ、理事長が出席したのは年一~二回であった(同号証九頁四行目~同頁末)。

(五) 昭和四八年三月二六日 二年前に理事会が示した定年規定について何回か団交したが合意に達せず事実上棚上げとなっていたところ、同日理事会は定年規定を同年度から実施する旨一方的に通告した(同号証一一頁九行目~一四行目)。

なお、理事長は、定年制に関する団交には一度も出席していない(同号証一四頁四行目~六行目)。

(六) 昭和四九年六月五日 同日や団交で理事長は、それまでの校長等との団交で確約されていた人事院勧告完全実施の回答を「そんな約束をしたおぼえがない」と一方的に破棄した。

なお、この件については、その後労使交渉が継続され、同月二二日、校長が「ベースアップについては、人事院勧告が行われたら、職責を賭けても、校長の責任で人事院勧告完全実施を必ず行う。」他二項目について覚書に押印している(同号証一二頁一四行目~一三頁二行目)。

(七) 昭和五〇年三月二〇日 年末一時金について、年度末に、年度末手当以外に「何がしかのプラスアルファー」を加えて支給するという条件で合意ができ、校長が理事長に代って押印したところ、同日理事長は、この合意をほごにする回答を提示した(同号証一三頁三行目~八行目)。

(八) 昭和五一年六月二三日 理事長は、賃金問題等の団交において、書記長がこれまでの交渉経過を話し始めると大声でどなり出し、組合代表者に対し“貴様”、“バカ”などと言った。

また、校長が理事会を代表して、前二回の団交で発言した内容も一方的に破棄した(同号証一四頁七行目~一二行目)。

(九) 昭和五三年四月に小松代現校長が、校長として赴任して以後、従来認められていた次のような便宜供与が打ち切られた(同号証二九頁二二行目~三〇頁五行目及び別表)。

ア 組合員が私学デーの県集会や自動車パレードに参加する際の職務専念義務免除扱い。

イ 父母懇談会等で組合が私学助成運動について協力要請を行うことを認めること。

ウ 全校朝礼等で生徒を通じて父母へ協力を呼びかけること。

エ 私学経営者の会合で協力要請を行うこと。

(一〇) 昭和五四年四月二六日 本件申入書交付の直前において、校長が同年四月採用の佐々木徳司教諭に対してなした一連の反組合的言辞(命令書七頁一四行目~二四行目)。

(一一) 昭和五四年六月八日及び一九日 組合からの本件申入書の撤回要求に対して校長が「撤回はしない」、「処分は検討中である」などと回答した(命令書三頁二五行目~四頁四行目)。

三(一) 原判決は、本件申入書交付の趣旨について「爾後の非違行為を防止するための警告である」とし、本件警告のもたらす組合活動への不当な干渉としての側面を否定している。

しかしながら、前記二で述べた被上告人の日ごろの参加人組合やその組合活動に対する一連の無視ないし嫌悪の表れとみられる諸言動と相まって、本件申入書における「以後、同様または類似の行為があった場合には、……就業規則違反に該当するものとして処分することとする。」という表現のうち「同様または類似の行為」の抑止の文言は、参加人組合による学校施設内での文書配布活動に対する広範な抑止的効果をもたらすものであり、とりわけ「処分することとする。」と明言したことは、組合にとって重要な組合活動である文書配布活動に対する報復的な威嚇としての効果を生み出すのみならず、以後の組合員の組合活動をいしゅくさせる効果をもたらすものであり、参加人組合の団結権行使に影響を与える不当な干渉にほかならないのである。

(二) ところで、本件申入書中の文言にある「処分」とは、就業規則第三七条所定の懲戒基準に基づいて懲戒に付する趣旨であることは明らかであるが、当該規定の趣意は、その威嚇的効果によって就業規則の遵守を担保しようとするものにほかならず、懲戒処分に付する旨の本件警告もまさにその威嚇力を背景とし、本件文書配布の抑止を意図したものと解される。のみならず、本件警告は、本件申入書中の「ここに厳重に申入れる」との文言と相まって、その威嚇的効果が一層強められているものというべきである。

なお、原審における参加人組合申請証人渡辺礼一の証言がこのことを裏付けている。

すなわち渡辺証人は、「処分をするということをはっきり書いた警告が出たということは、組合員にとっては大変ショックだったわけです。……校門付近での文書……配布……に参加する組合員が明らかに減ってまいりました。……以前は……十数名近い人が出ましたが、最近では数名というところですね。半分ぐらいになっております。……ごく普通の組合員の場合は出なくなります。……」及び(「処分という言葉からどんな内容を連想されるわけですか。」との質問に対して)「端的なことは首ということだと思います。……」と、その警告がもたらした現実の威嚇的効果について陳述を行っている(渡辺礼一証言・原審第六回口頭弁論の証人尋問調書一七枚目表一一行目~一九枚目表一行目)。

四 以上にかんがみるならば、原判決における被上告人が参加人組合に対し、学校内で生徒を対象とした文書配布の便宜供与を漸時逓減せしめ、段階を経たうえで本件申入書を交付したのは、参加人組合の労働基本権に対する配慮もなされた穏当な方法である旨の判示は、被上告人による参加人組合の組合活動に対する一連の組合の無視ないし嫌悪の態度を看過しており、その点で、原判決には、判決に影響を及ぼす法律の解釈・適用の誤りがあると言える。

以上

上告参加人代理人澤藤統一郎の上告理由

第一、用語

一、参加人組合が、昭和五四年五月三一日早朝、岩手女子高等学校校門付近でした、私学に対する公費助成を求める署名簿等の配布行為を、本件署名簿配布行為という。

二、被上告人が、本件署名簿配布行為を対象として昭和五四年六月一日付岩手女子高等学校長名でした、参加人組合宛の処分警告を内容とする申入書を、本件申入書という。

三、上告人が昭和五六年三月一八日付でした、岩労委昭和五四年(不)第一及び五号不当労働行為救済申立事件における救済命令を、本件救済命令という。

第二、原判決は、憲法二八条、労働組合法第七条の解釈を誤った違法がある。

一、原判決は、参加人の本件署名簿配布行為の労働組合活動としての正当性を否定し、それゆえ被上告人の本件申入書交付を不当労働行為に当らないとして、上告人の本件救済命令を違法と結論する。

本件署名簿配布行為の正当性を否定する理由の骨格として原判決が述べるところは、まず参加人の本件署名簿配布行為を、形式上就業規則に違反する行為であるとの認定を出発点として、「かかる場合に本件申入が不当労働行為にあたると言えるためには、なによりも控訴人組合の本件文書配布について学校秩序を乱すおそれがない特段の事情の存在していたことが必要である」と述べ、右「特段の事情」の有無の判断を、「(被上告人は)学校内で教職員が生徒を対象として文書を配布する態様の組合活動につき、高等学校教育の正常な業務運営を確保するうえの妨げになるので望ましい学園秩序を形成するためにはこれを解消するようにせねばならないと考えているものであり、学校がかく考えるについては相当な根拠があると認められ」るから、「反面本件文書配布については学校秩序を乱すおそれがない特段の事情の存在していたことを認めるに足りない」とし、続けて「従って労働組合の正当な行為にあたらないのである」という。

二、以上の文脈に見られる原判決の論理は、徹頭徹尾使用者の側の視座に立つものであって、労働基本権に対する配慮を欠落し、労働組合の活動の権利と使用者の施設管理権ないし労務指揮権との妥当な調整原理を考求せんとする姿勢を欠くものである。原判決は、本件署名簿配布行為及びこれに対する本件申入を労働組合の側から、その必要性や影響において考察することをしない。また、本件署名簿配布行為が、現実にまた客観的にいかなる「学校秩序」を、どのようにどの程度乱したか、あるいは乱すおそれを生ぜしめたか、という具体的考察については何の関心も示さない。事実上、使用者の、一方的主観にもとづく「学校秩序」を万能としてこれに抵触する労働組合の行為から、正当性を剥奪しているもので、勝れて対抗的な労使関係の本質を見誤っているものである。原判決は実態の不明な「学校秩序」なる概念の設定によって、使用者が承認を望まない一切の校内における労働組合活動を圧殺する論理に外ならない。

かかる原判決の判断は、本件署名簿配布行為の正当性を否定している点で、本件申入書の不当労働行為を否定している点で、また、本件救済命令を違法としている点で、明らかに憲法二八条、労働組合法第七条の解釈を誤ったものというべきである。

三、言うまでもなく、労働基本権は使用者に受忍を求めるものである。形式上、就業規則に違反する行為であっても、あるいは施設管理権・労務指揮権に反する行為であっても、当該行為が労働組合活動として行なわれた場合には、使用者の権限も組合活動に一定の譲歩を余儀無くされるものであって、相互の権能の調整作用が求められなければならない。原判決の言う「学校秩序」はかような調整原理として意識されてはいない。原判決の言う、被上告人における「望ましい学園秩序」とは、要するに「組合の文書配布のない状態」という言葉の置換えに過ぎず、それ以上の考察も説明も欠いている。学校秩序を乱すおそれの有無を考察すると言いながら、実は、論理上無媒介に「組合の文書配布のない状態」を「望ましい学校秩序」と措定する被上告人の態度を、何の理由も無く是認しているだけであって、あるべき学校秩序をどう把握するかの吟味なく、具体的・客観的に労働組合の行為によってどのように「秩序」が影響を被ったかについても触れるところがない。被上告人の一方的な願望に過ぎない「学校秩序」に対して、労働組合活動がなにゆえに譲歩しなければならないか、原判決はこれに答えることなく、その実質的理由ないし根拠について一顧だにするところがない。

概念不明の用語は何の有用性をも持ちえない。一般論として、学校において「秩序」が尊重さるべきであることに異論はなかろう。しかし、その内容は公教育の理念からみてあるべき、客観的に妥当な「学校秩序」であることを要する。学校経営者の偏頗な主張にもとづくものであってはならず、またそれは教育労働者の労働基本権との調和を要するものであることは自明である。校内で労働組合の署名簿配布行為のないことを「学校秩序」と措定して、「学校秩序」維持のために署名簿配布行為は許されない、などという「論理」が存立する余地はない。

四、形式上就業規則違反となる労働組合活動の正当性判断について、原判決を批判する視点を提供するものとして、参考にさるべきは最近の貴裁判所の幾つかの判例である。

西日本重機事件判決(第一小法廷、昭和五四年(行ツ)第八五号昭和五八年二月二四日)は次のとおり判示する。

「原審の適法に確定するところによれば、(一)(略)本件ビラの配布は組合活動として極めて重要なものであった、(二)本件ビラの配布は、その態様及び目的並びにビラの内容に照らして、業務阻害その他上告人の企業活動に特段の支障を生じさせるものではなかった、(三)上告人は本件ビラの配布に対し、即日分会長に、本件ビラ配布は就業規則に違反する行為であるから厳に慎むよう注意するとともに後日責任を追及するのでその旨申し入れるとの内容の警告書を交付した、(略)右事実関係のもとにおいては、分会長に対する本件警告行為が労働組合法七条三号の不当労働行為にあたるとした原審の判断は、結論において正当として、是認することができ」る。

ここには、ビラ配布の形式上の就業規則違反性の確認を論理の出発点とする構成をとらず、ビラ配布の必要性と、その態様及び目的並びにビラの内容を吟味して、業務阻害その他企業活動に対する支障の有無と程度から、当該ビラ配布行為の組合活動としての正当性を判断しようとの基本姿勢を読取ることができる。

右最高裁判決が是認する、一審判決(福岡地方裁判所昭和五三年五月一六日判決、労判二九八)はさらに、この理を明確に次のとおり判示している。

「本件ビラ配布行為が形式上は一応就業規則に違反するようにみえながらなお正当な組合活動として評価されるべきものか否かを決定するには、右のごときビラを配布することの必要性と、その配布の態様が『職場の秩序』をみだし、それによってどの程度の業務上、施設管理上の支障が生じたかを比較衡量してこれを行うべきものである」

この態度が、企業の要請と労働基本権の双方に目を配った、いわば労働良識に立脚した立場であることは自明である。

五、また、明治乳業事件(第三小法廷、昭和五五年(オ)第六一七号昭和五八年一一月一日)は、休憩時間中工場食堂において就業規則・労働協約に反して行なわれた赤旗及び選挙法定ビラ配布行為につき、次のとおり判示する。

「被上告人の本件ビラの配布は、許可を得ないで工場内で行なわれたものであるから、形式的にいえば、前記就業規則一四条及び労働協約五七条に違反するものであるが、右規定は工場内の秩序の維持を目的としたものであることが明らかであるから、形式的に右各規定に違反するようにみえる場合でも、ビラの配布が工場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは、右各規定の違反になるとはいえないと解される(最高裁昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集三一巻七号九七四頁参照)。そして前記のような本件ビラ配布の態様、経緯、及び本件ビラの内容に徴すれば、本件ビラの配布は、工場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められる場合にあたり、右規定に違反するものではないと解する」

注目すべきは、右判決における「工場内の秩序」の概念は、けっして施設管理権と労働基本権の調整原理として作用しているのではないということである。それ以前の問題として、就業規則ないし施設管理権は、規制の合理的理由を欠く場合には労働者の市民的自由を侵すことができないという文脈で、就業規則の効力の限界を画する為に持ち出されているのである。

さらに、右判決が本件原判決と決定的に異なるのは、「ビラ配布の態様、経緯及び目的並びに本件ビラの内容」を吟味して、工場内の秩序を乱すおそれの有無を具体的に判断していることである。これに比して本件原判決は、「学校秩序」の何たるかについて述べるところなく、さらに本件署名簿配布行為がどのような態様でどの程度「学校秩序」に影響を及ぼしたかについて、まったく考察していない。

六、また、住友化学名古屋製造所事件(第二小法廷、昭和五二年(オ)第一四八号昭和五四年一二月一四日)は、会社施設内のビラ配布行為を理由とする懲戒を無効として、次のとおり判示する。前掲明治乳業事件と系譜をおなじくする内容である。

「原審の認定した事実関係によれば、被上告人らは、その就業時間外に本件ビラを配布したものであり、また、その配布の場所は、上告会社の敷地内ではあるが事業所内ではない、上告会社の正門と歩道との間の広場であって、当時一般人が自由に立ち入ることのできる格別上告会社の作業秩序や職場秩序が乱されるおそれのない場所であったというのであるから、被上告人らの右ビラ配布行為は上告人の有する施設管理権を不当に侵害するものではないとして、これに対してなされた本件懲戒処分を無効とした原審の判断は、本件ビラ配布が正当な組合活動であるかどうかを判断するまでもなく、正当として是認することができる」

七、以上述べたとおり、「学校秩序」論に寄り掛かっている、原判決の構成を清算して、新たな観点から被上告人の本件申入が労働組合法七条三号の不当労働行為に該当するか否かの判断がなされるべきである。それにはまず、本件救済命令が採用した構成のとおり、参加人組合の本件署名簿配布行為が正当な労働組合活動か否かを吟味し、次にこれを対象とする警告である被上告人の本件申入が参加人組合の団結権侵害の危険を帯有する行為であったかを判断すれば足りるものである。

すなわち、正当な労働組合活動を対象としてこれを抑圧する危険性を有する使用者の行為が、支配介入の不当労働行為と評価され禁止さるのである。右の判断の骨格は極めて、常識的な、簡明なものである。

本件署名簿配布行為の労働組合活動としての正当性の判断のためには、その目的、態様、並びに必要性の三点が吟味されなければならない。原判決が力説する「学校秩序」は、行為態様における正当性判断の特殊な一要素として、考慮すれば足りることである。具体的には、当該行為の業務阻害の有無程度を判断する際に通常の企業と異なる配慮を必要とすることになろう。また形式上就業規則違反ということも当該行為の正当性判断において基本的には問題となりえない。そもそも就業規則に照らして問題のない程度の行為であれば正当性判断の必要はないと言ってよい。形式的には就業規則に抵触する行為でも組合活動としてなされるときに正当性を獲得しうることになるのであって、一見就業規則に違反する行為のみが正当性判断の局面に現れて来るのである。

このような文脈で具体的に考察すべきであって、原判決の説示するごとく、学園には学校経営者が許可せぬ限り、一切の文書配布が不可能であるなどという短絡的な理論構成は企業秩序万能論に外ならず、労働基本権を無視して、憲法あるいは労働組合法の正しい解釈はありえない。

八、以上の判断のすべてにつき、特に本件署名簿配布行為の正当性に関する論点と、本件申入の参加人組合の団結権侵害の危険の有無程度の吟味に関しては、労働問題についての専門性を具備した行政委員会たる地方労働委員会が、準司法的手続きに則って慎重に下した本件命令を出来るだけ尊重すべきである。地方労働委員会は、大幅な裁量権限を有しているものであって、裁判所は著しい逸脱無いかぎり、救済命令を尊重しなければならない。原判決のごとき態度では、不当労働行為制度の根幹を揺がし、労働委員会の存在を否定するに等しい。

九、本件署名簿配布行為の直接的目的は、私学に対する公費助成の増額を求める文部大臣宛ての署名簿及びその説明書の配布を通じての、生徒の父母に対する私学助成運動への参加の呼びかけにある。参加人労働組合が主体となって永く取組んでいる、行政に対して私学助成を求める運動の一環なのである。私学助成運動の理念と実践態様については、乙第五号証の各陳述に詳細であるが、乙第一一号証に要約してある。私学助成運動は一面、教育の機会均等を求め公立に対して劣位に置かれている私学の教育条件を整備しようとする教育運動であり、他方私学の教職員にとっては切実な労働条件確保のための運動でもある。

「永年にわたる公費助成運動の力によって、岩手県の私学予算は昭和五四年度においては一七億三四〇〇万円となっており、四四年度とくらべると実に二五倍に達している。経常費に対する補助である私学運営費補助だけを見ると七億九六〇〇万円であり、生徒一人当たり額では、年額一〇八〇〇〇円である。この運営費補助は、岩手県の私立高校の経常経費の四〇%を越える比重を占めているものと推定され、この補助なくしては私学財政は成りたたない状況にある。この金額はまた、私学教職員の給与財源の約半分を占めるものともなっている」(乙第一一号証二六ページ)のである。私学の教職員からなる労働組合が私学の教育環境整備を目的とする教育運動に取組むことも、「私学教職員の給与財源の約半分を占める」公費助成の増額を求める運動に取組むこともその目的の正当であることに何の疑義もない。特にその経済問題としての側面には切実なものが窺われるところである。

一〇、本件署名簿配布行為の態様については、配布文書の内容、配布の時間・場所、配布の相手、業務阻害の有無程度、その具体的内容としての学校行事・授業に対する支障の有無程度、生徒に対する教育的影響等々が考慮されなければならない。しかし、いずれの点から見るも、本件署名簿配布行為がその態様ゆえに正当性を欠く契機は一切有りえない。

本件署名簿配布行為は昭和五四年五月三一日の早朝八時五分前頃から、八時半頃まで行なわれた。但し、八時二五分に職員の打合せの会が始まるので、大部分の組合員は、その前に配布行為を切上げて職員の打合せの会に参加し、用務員や担任を持たない教員で会に出席の要のないものが若干名残って、遅刻の生徒を対象に八時半頃まで行なったものである。場所は原則として、校門の外で行なわれ、校舎その他特定の学校所有の施設を利用しての行為ではない。登校の生徒に対し表書きのない定型のハトロン封筒に入れた三枚の署名簿等の文書が順次組合員たる教職員から手渡された。学校行事にも授業にもいささかの支障も生じないよう配慮された行動であった。

配布された文書は、「大幅私学助成を求める文部大臣宛署名 ご協力のお願い」と題する参加人組合名の父母宛要請書(乙第六五号)、「私学助成に対する一九八〇年度概算要求に対する要求署名」と題する署名簿(乙第六六号)、並びに岩手私教連作成の「安い学費はみんなの願い」と題するビラ(乙第六七号)である。

その内容は、参加人労働組合から生徒の父母に宛てた、私学助成に関する署名簿とその趣旨説明並びに協力要請の文書である。

いずれも高校教師を職とするものの作成に相応しく、礼節を重んじ、品位と節度を弁えた文書であり、社会的な道義や良識に則った内容であって、学校や第三者を誹謗したり、虚偽や反社会性をいささかも含まない。

一一、本件署名簿配布行為の態様について、本件命令は「組合が文書を配布した時間は、早朝の勤務時間前であり、その配布場所も学校校門付近であるから、これによって格別学校施設を利用し、不当に奨学会の施設管理権を侵害したものとは認められない。なお、文書を生徒を通じて配布することは、適切を欠く面もあることは否めないにしても、本件文書の内容は、主として私学助成運動に関するものであり、その表現においてもとくに不穏当とはみられず、この配布によって、特段に学校の秩序を乱し、教育上特に影響を与えたとは認められない」と判断している。良識あるバランスのとれた判断と評し得よう。

また、一審判決も「生徒たちも、参加人組合所属の教職員たちが衆目にふれる形でそうした運動に取組んでいることは先刻承知していたとみられること、配布された文書の内容に特に不穏当反教育的なところがなく、配られた時間、場所も格別学校の平常の業務を阻害するものではなかったことなどの事実が認められる」「前記就業規則の存在、及び本件が教育施設内の問題であるにも関わらず、なお、組合の問題の文書の配布行為を未だ正当な組合活動の範囲を逸脱したものでないと解する余地は十分にある。まさに被告(岩手県地方労働委員会)の判断もここに立脚したものと解せられるのである」と述べているところであって、原判決のみがかかる諸点を殊更に見ない態度をとっている。

一二、原判決は、「(被上告人は)学校内で教職員が生徒を対象として、文書を配布する態様の組合活動につき、高等学校教育の正常な業務運営を確保する上の妨げになるので望ましい学園秩序を形成するためにはこれを解消せねばならないと考えているものであり、学校がかく考えるについては教育上相当な根拠があると認められ、右教育における裁量的判断につき逸脱もみられない以上これを尊重すべき」であると説示する。

右判示部分が、原判決の判断の根幹をなすものであり、且つ、決定的に誤っている点である。

ここで問題にされている「学園秩序」(原判決は別の箇所では学校秩序という)は、学校の教育目的に照らしていかなる内容を持つべきかとの吟味のなされていない、無内容のものである。また、本件署名簿配布行為によって「学園秩序」が具体的にどのように、侵害されたかについてはふれるところがない。従って、本件署名簿配布行為の態様において、いかなる意味で「学園秩序」を媒介にその正当性を欠くというのか、まったく明らかになっていない。原判決のいう「学校秩序」とは、上告人の願望である労働組合の文書配布行為の無い状態のことなのであるから、何等の分析の道具になりえないのである。当初から結論を決めて、その理由付のために持出しただけの「学園秩序」に過ぎないのである。

本件署名簿配布行為が、学校の策定した学校行事にも、授業計画の遂行にも何の支障をもたらさなかったことは先に見たとおりである。また、常に生徒と接触している教職員が前記態様の文書を生徒に手交することが、教育現場の静謐を乱すこともありえない。侵害される「学園秩序」とは、実は学校経営者の対労働組合の感情の中に存在するもの以外に、まったく考える余地がない。

本件署名簿配布行為が学校の具体的な教育プログラムに支障をきたさないとすれば、これの正当性を奪う根拠となりうるものは、学校の教育目的に反する悪影響を有する、という以外に方法はない。つまり、本件署名簿配布行為は高等学校に通学する生徒の教育上、望ましからざる影響を有する、従って労働基本権もその限度で制約されざるをえないとの論理である。

しかし、生徒を通じて私学助成を求める署名運動に取組んで来たのは、参加人労働組合ばかりではない。被上告人学校も同様であったのである。同じテーマで同じ態様の行動をより厳格に、学校自身が行なっていることは労働委員会の審問の席以来被上告人の一貫して認めて来たところである。「昭和四八年一〇月、私学助成法制定の運動がもり上がり、学校側も理事長、学校長、PTA会長名で署名運動を行い、全生徒にも全校朝会で、呼びかけ、かつ生徒を通じて署名運動参加を依頼した」(乙第一二号証四ページ)と言うのである。同じ事でも、学校がやれば教育的で、労働組合が行なえば非教育的という、被上告人の「論理」は労働組合に対する偏見の告白以外の何ものでもなく、これに与みする原判決の判断には首を傾げざるをえない。また、参加人労働組合の同様の行為がかつては学校長の承認のもとに、昭和四四年五月から五二年五月にかけて、九年間も堂々と教室で行なわれ、校門付近でトラブルなく配布されていた期間と併せて一一年も継続したという、慣行も考慮さるべきであるし、他の私学では現在も生徒を通じての署名簿配布が続けられているという事情等も考慮されなければならない。何の合理的理由もなく、本件署名簿配布行為を禁止するに至った被上告人の態度が、奇矯、特異なのである。被上告人の真意は、教育的配慮にあるのではなく、労働組合に打撃を与えること以外に付度の余地がないと言ってよい。

望ましい学校秩序の在り方は、一人校長の意思によって決定されるものではありえない。学校経営は、その司どる教育活動ということがらの本質によって、企業や官庁とは、組織論理、運営原則を著しく異にする。「学校経営における教育的意思決定の幅の広さと深さは、本来的に組織の長とされる校長一人による意思決定を実質的には不可能とする。そこにおける教職活動の専門性は、どのような形をとるにせよ、スペシャリストたる教師の集合的・集団的な力量に依存せずには学校を動かしえないものとする」(高野桂一「職員会議の機能と権限」季刊教育法五号)との教育法学者の指摘は傾聴に値する。判例も職員会議の慣習法的拘束力を認めるに至っているとおり、それぞれの学校秩序の在り方は、本来校長を含む教職者集団の意思によって形成されるものである。

一三、原判決において詳論するところはないが、配布の相手方が高校生であることが判断の根拠となっていることは明白といえよう。教育を受ける客体としての高校生に、署名簿等を配布する行為をのぞましからずとする心情を行間に読むことができる。換言すれば、教職員の労働組合の存在あるいは、署名活動の存在を、生徒の目に触れさせないことを望ましい「学園秩序」と是認する超保守的心情である。

しかし、私学を職域とする教育労働者が、教育環境改善の活動に取組むに際して、教育現場における主人公たる生徒に対し、運動への理解を求めることは、社会的相当性を欠くものではない。私学助成を求める運動は、前述のとおり切実な経済闘争であると同時に、教育現場に職を報ずる者の使命として、生徒、父母と手を携えてのよりよい教育環境を創造する教育運動でもある。私学に通学する生徒にとって、高い学費は切実な問題である。また、その年齢はすでに社会を見詰める目を有するに至っている。そのテーマの見近なことと、社会的な許容性、さらに教職員らの節度ある行為態様を考え合せるとき、教育的悪影響論はこじつけ以外に考慮の余地はない。

教育基本法二条は、「教育の目的はあらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するために……実生活に即し、自発的精神を養い」とあり、また、同八条は「良識ある公民たるに必要な政治的教養は教育上これを尊重しなければならない」と定める。私学に通うことの経済的、精神的負担に目をそらせるのではなく、これを現実として見詰める契機を与え、教育現場にある教師集団がこの問題にどう対処しているかを、身をもって実践してみせてこそ真の教育であり、且つ学校教育法の精神に適合する「教育秩序」の形成があったと言うべきである。少なくとも、原判決の立つ超保守的教育観によって参加人労働組合の本件署名簿配布行為の正当性が剥奪さるべきでない。

一四、本件署名簿配布行為が参加人組合にとって必要な行動であったことについて一言しておく。公費助成運動が私学教職員労働組合にとって、切実な労働条件維持向上活動であることについては、前述した。また、その運動形態は、特定事業所内の労働者のみを対象とする一般的な教宣活動とは大きく異なり、不特定多数の誇張でなしに県民すべてを対象とする活動となる。従って、財政上到底郵送費の負担に耐えうるものではない。どうしても、千人を越える生徒の父母への書類送付は生徒の手を通じて行なわざるを得ない。しかも、労働組合としては、むしろ、堂々と生徒の前に姿を現し、大変消極的な形ではあるが、生徒の手を通じて父母に署名簿を届けることに意義を見出しているのである。

一五、以上の目的、態様、必要性の三点から正当性が肯定される本件署名簿配布行為は、それが就業規則に形式的に違反することをもって正当性を失うものではない。就業規則も施設管理権もそのかぎりで、組合活動に譲歩せざるを得ないものである。就業規則万能論が、民主主義社会の労働法解釈実務に妥当する余地は無い。

その法律構成としては、次のようにも構成が可能であろう。一見形式的には、就業規則に反しているように見えても規則の制定目的からこれを限定的に解釈して、実質的には就業規則違反はない、という論法である。本件に即して言えば、校内の文書配布に校長の承認を要するという就業規則条項は、校内秩序を守るという目的から制定されたものであるところ、本件のごとく労働組合が校門付近で始業前に平穏に私学助成運動の文書を配布することは、校内秩序をいささかも攪乱するものではないので、そもそも就業規則の当該条項に違反したとは言えない。

この場合、前掲住友化学事件判決の文脈と同様、「本件署名簿配布行為が正当な組合活動であるかどうかを判断するまでもなく」本件申入書交付行為は不当労働行為となる。

その意味で原判決は就業規則の解釈を誤っているのである。

一六、労働組合法七条三号に定める支配介入の不当労働行為成立要件として現実に団結権侵害の結果が生じたことを要せず、抽象的危険の存在で足りるものであるので、本件申入書交付行為が不当労働行為を構成するためには、本件申入の警告が労働組合に支配介入しての効果を有すれば足りる。

この点について原審における参加人組合委員長渡辺礼一は次のとおり、述べている。「処分をするということをはっきり書いた警告が出たということは、組合員にとっては大変なショックだったわけです。それでもなおかつ、私たちはそれは不当だと言うことで、校門付近での文書配布を何度かやっておりますけれども、そういうのに参加する組合員が明らかに減ってまいりました」「以前は十数名近い人が出てましたが、最近では数名というところですね。半分ぐらいになっております」「ごく普通の組合員の場合は出なくなります」「何人かの執行部やっている人にも聞きましたけれども、正直言って怖いと」「学校の攻撃の矢面にたつような執行部になるということは、まかり間違えば、自分が処分されるということを覚悟しなければなりませんから、やはりそこまでの決断がつかないというのが、ごく普通の人の感覚だろうと」「処分という言葉からはクビを連想します」「現実性をある程度もって受止められています」「処分するぞという言葉は処分を次に出すということですから、その行為があれば処分されるということを覚悟しなければ出来ない訳です。普通の労働者にとって、処分を受けるということは、相当つらいというか恐ろしいことです」

ここで語られていることは、抽象的危険の水準を遥かに越えた、具体的現実的な団結権侵害の結果についての報告である。労働運動の現場に身を置く者にとっては、本件申入書の処分警告は不当労働行為として救済を要するものである。

結局労使関係の現場を知らず、問題に精通しない原審裁判所の机上の空論がかような誤った結論に至ったものであって、貴裁判所にあっては本件救済命令の判断を尊重され、原判決の誤謬部分を破棄のうえ被上告人の請求を全部棄却する判決を求める次第である。

以上

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